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コラム:沈む都市ベネチアに挑む革新技術|30cmの“浮上計画”が未来を変える
2025/05/16

気候変動と地盤沈下が進むベネチアの現状

イタリア北部に位置する世界遺産の都市ベネチアは、近年深刻な気候変動と地盤沈下の影響により、毎年数ミリずつ沈み続けています。過去100年間でおよそ25センチ地盤が沈下し、さらに海面は1900年以降で30センチ以上上昇しました。このままでは、アドリア海に面したこの歴史都市が水没するリスクが高まっています。

観光地としての美しさと脆さを併せ持つベネチア。今、イタリアの研究者が大胆な解決策を提案しています。

ベネチアを救う「都市隆起計画」とは?

パドバ大学の水力工学准教授ピエトロ・テアティーニ氏は、ベネチアの地下深くに水を注入し、都市全体を最大30センチ浮上させるという革新的なアイデアを提案しています。

この「隆起プロジェクト」は、既存の可動式防潮堤システム「MOSE(モーゼ)」と併用することで、ベネチアが今後50年間水没を回避する猶予を得られるとされています。これにより、長期的かつ持続可能な都市保護対策の準備期間が確保されるのです。

防潮堤「モーゼ」とその限界

ベネチアでは2020年に可動式の防潮堤「モーゼ」が稼働を開始しました。1980年代から計画が進められていたこの巨大プロジェクトは、異常高潮(アックア・アルタ)から都市を守る目的で建設され、これまでにおよそ60億ユーロ(約9,700億円)が投入されています。

当初は年に数回の稼働を想定していたモーゼですが、気候変動の影響で運転回数は急増。2020年からの数年間で100回近くも稼働しており、ベネチアの交通や自然潮流への影響が懸念されています。

地下深層への水注入で都市を持ち上げる新技術

テアティーニ氏が提案する「都市浮上計画」は、地下600〜1000メートルにある帯水層に塩水を注入することで、地盤を押し上げ、都市を浮かせるというもの。これはガス貯留施設での季節的な地盤変化の観測に着想を得た発想で、深部地層での圧力変化を利用しながら、安全に土地を持ち上げる方法です。

計画では、ベネチア中心部を中心に直径10キロの範囲に12本の注入井戸を掘削。使用する水はラグーン内の塩水であり、淡水資源への影響はありません。

「亀裂が生じたら大惨事」安全対策も万全に

地盤隆起にともなうリスクとして懸念されるのが、地層への過剰な圧力による「亀裂」や地震の発生です。しかし、テアティーニ氏は水圧破砕法とは異なる方法を採用し、最大でも30センチの緩やかな隆起にとどめる設計としています。

また、圧力を一定に保ちつつ、10年をかけて流量を調整することで地盤への負荷を分散させる考えです。試験導入にも数千万ユーロの費用がかかる見込みですが、全体計画はモーゼの建設費の3分の1以下に抑えられるとされています。

既存の隆起プロジェクトの事例と比較

1970年代には、ベネチア近くのポベリア島でセメントを地中に注入して約10センチの隆起を実現した事例があります。しかし、現在のベネチア中心部で同様の方法を取るには膨大な数の掘削が必要となり、現実的ではありません。

今回の深層帯水層への注水による隆起は、より持続可能で環境への影響も少ない手法として注目されています。

ラグーンの生態系と共存する持続可能な対策

ラグーンを完全に閉鎖し湖にする案も議論されてきましたが、これは2000年以上にわたり培われたベネチア独自の生態系を破壊するリスクがあります。テアティーニ氏は「ラグーンはベネチアそのもの」と語り、環境と共存できる対策の重要性を強調します。

国家機関もすでに設立されており、2025年以降はラグーンへの介入を監視しながら、実現可能な都市保護の手段を検討しています。

未来のベネチアに向けた選択

現在、ベネチアの人口は過去の70%以上が流出し、5万人を下回る規模にまで減少しています。しかし、文化・歴史・観光資源を抱えるこの都市は、世界的にかけがえのない存在です。

このまま対策を講じなければ、数十年後にはベネチアはラグーンの底に沈んでしまうかもしれません。

「ベネチアをベネチアたらしめるのは、ゴンドラが行き交う運河と湿地帯の景観。丘の上では、それはもうベネチアではない」と、テアティーニ氏は訴えます。